自助公助共助について思うこと

最近,色々話題にされる自助公助共助について話していきます.

先日菅官房長官「私が目指す社会像というのは、『自助・共助・公助そして絆』であります」と発言したことに対して,自分の周りの無料塾運営者の間では,「今後格差社会が広がっていくのではないか」という不安が広がっています.

 

ですが,そもそも「自助公助共助」というのは,行政においては広く使用される用語だと思っていて,識者も批判に値するほどではないと考えられています.そこで,それぞれの立場で,今回の発言について考えていき,私自身の考えを最後にまとめたいと思います.

 

 

行政における「自助公助共助」の解釈について

 

www.city.itabashi.tokyo.jp

www.city.tsukuba.lg.jp

 

以下,リンクの通りなのですが,そもそも「自助公助共助(互助)」は広く行政の制度を語る上で使用されるキーワードであることが分かります.

 

以下,板橋区のHPから引用します.

 

自助

自分で自分を助けること。自分の力で住み慣れた地域で暮らすために、市場サービスを自ら購入したり、自らの健康に注意を払い介護予防活動に取り組んだり、健康維持のために検診を受けたり、病気のおそれがある際には受診を行うといった、自発的に自身の生活課題を解決する力。

 

互助

家族・友人・クラブ活動仲間など、個人的な関係性を持つ人間同士が助け合い、それぞれが抱える生活課題をお互いが解決し合う力
相互に支え合うという意味では「共助」と共通するが、費用負担が制度的に裏付けられていない自発的な支え合いであり、親しいお茶飲み仲間づくりや住民同士のちょっとした助け合い、自治会など地縁組織の活動、ボランティアグループによる生活支援、NPO等による有償ボランティアなど幅広い様々な形態が想定されます。

 

共助

制度化された相互扶助のこと。医療、年金、介護保険社会保険制度など被保険者による相互の負担で成り立ちます。

 

公助

自助・互助・共助では対応出来ないこと(困窮等)に対して最終的に必要な生活保障を行う社会福祉制度のこと。公による負担(税による負担)で成り立ち、区が実施する高齢者福祉事業の外、生活困窮に対する生活保護、人権擁護、虐待対策などが該当します。

 

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このように言われてますし,テレビでコメンテーターとしても出ている,野村先生はツイッター

 

と発言しています.

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「自助」と「自己責任」を繋げてはいけないというのは的を得ていて,

「「自己責任で」とは言っていません.自分でどうしようもない部分を地域や行政が救えば良い」

というのが主張です.

 

そして,普段から貧困対策に取り組まれる方も,基本的にこの主張に対して反対はしていなくて,「もちろん自分の力で生きていかなくてはいけないのは分かっているが,現時点で,そうすることができない人が沢山いて,その人たちがこのメッセージを聞いてどう感じるのか考えて欲しい」と思っています.

 

貧困対策に取り組む方の主張

今回は自分がこどもの貧困に特に関心があることから,「貧困対策に取り組む方」と限定しておりますが,他にも,社会的な弱者は多くいて,そういった人たちには共通する話だと思って欲しいです.

 

そもそも菅さんは,安倍さんや麻生さんのような世襲議員ではなく,農家出身の家庭から政治家になったという経緯があり,「能力重視」「叩き上げ」といったイメージがあります.

そういった人からの「自分でできることは自分でする」というメッセージは,「自分ではどうすることもできない人」(職がなかったり家がなかったりこどもだったり…)にとっては,「頑張ろうとする気力」を奪うことに繋がります.

 

そして,世間一般には働くことは当たり前,家があることは当たり前なので,そういった当たり前がない人は,公助共助の力を借りるしかないのですが,少なくとも,共助(民間のNPO団体)のみではどうしようもできないと僕含め活動する人は感じています.

いくら地域社会が充実しても,根本的な格差がなくなるわけではないので,並行して社会保障や職業整備などを充実させていく必要があるわけで,そこを公助の力で補っていかないといけないです.

 

自分生活だけでは済まず,そこに世間の目も関わってきます.

仕事がない人に対しては「仕事は選ばなければある」「真面目に働かなかったから仕事がなくなる」「田舎に行け」など

家がない人に対しては「ネットカフェに泊まらずにもっと働けば良い」「ネットカフェに泊まっていた人をホテルに住ませるために自分たちの税金を何で使われなきゃいけない」など

もちろん大半の人はそうは思っていなくて,思っているのはごく少数なのですが,批判ってごく少数でも心にきますよね.

 

このような批判が多少でもあると,当たり前を享受できない人にとって,当たり前の生活を送れないから「助けて欲しい」と発信しにくい世の中になってしまいます.そして実際にそれがこの世の中には存在するわけです.

 

主張がかみ合わないのはしょうがないが,私たちはもっと考えなくてはいけない

このように「自助公助共助」に対する解釈は往々にして存在し,少なくとも僕は,その解釈に対して「否定する議論をしても不毛」とは思いません.それは,私たちは,もっとこうしてほしいと主張しても良いと思っているからです.

 

しかし,野村先生のコメント欄を見ていると賛同の声が多いのですが,これが現状なんですよね….基本的にみんな頑張っている.自助している.自分も人より努力はしている(つもり).

 

だけど,それと「頑張ることを他人に要求する」ことは違うと思います.

1つ例を挙げます.僕自身,裕福な家庭出身ではなく,大した生活は送っていませんでしたが,(たとえば小遣いは実質なし(全部参考書と模試代に使っていました))そんな中でも,周りが遊んでいる中で勉強して努力してきたからこそ,東大に合格して今があります.

しかし,振り返ってみて,そして今こういった活動をしてきて,自分は環境面ではかなり恵まれていたと感じます.「環境が恵まれていたから頑張れた」わけです.

しかし,環境は人それぞれです.自分と同じ環境を整備して初めて「頑張れるかどうか」が問われるわけです.教育なら,経済格差,地域格差がありますが,それらを是正して初めて平等な競争と言えます.なので,それぞれの環境や立場を考慮した上で,何かを要求するべきだと思います.

 

その上で,広く国民生活を支えていかないといけない立場の方が,「自助」という言葉を使うには重みがあるなあと,心理的には感じます.論理的には何の問題もないのですが.

 

だったら,それを主張すれば良いのですが,いまどき非難すると「自分では何もできない」とか言われる世知辛い世の中ですからね.だけど,「頑張って欲しいならまず環境を整備しろよ」と図々しく行政に要求できる世の中になった方が良いような気もします.「自分で頑張るので,どうしようもなくなったら支えてください」では,どうしようもなくなったときに,「この程度も頑張れない」という思考になる恐れがあります.(そういう思考に至ること自体が,「多様性の否定」であり「能力主義」であることの裏返しなのですが.)

 

だからこそ,そうなっても良いように,そうなる前から要求して欲しいですし,そう要求する人を非難しない世の中になって欲しいなと個人的には思います.

 

まとめ

いくつか自分の主張も交えながら話しましたが,個人的には,まずは,どうしようもできない人を,公助や共助で支えて,その上でお互い助け合いながら,自助できる社会になってほしいと思っています.

「まずは自分が頑張る」という考えに対して自分は賛同できません.